HHKBが壊れた(?)

私はPFUのHappy Hacking Keyboard (HHKB) Professional 2 を長年愛用してきた。買い求めたのは2006年のこと、私は修士の学生だった。計算物質科学の研究室に配属になったのだが、配属の半年前からタイピングの矯正を始めていた。これからキーボードでの入力が多くなるだろうと思ったからだ。

それまでもキー入力はそこそこ速かったのだが、ホームポジションなどおかまいなしの、非入力時はキーボードの端に手を軽く添えるという効率的とは言いがたいスタイルで、しかもキーボードを見ずに入力するためにはゾーンに入らなくてはいけなかった。つまり作業に没頭すれば、いつのまにか私の頭にスイッチが入ってキーボードを見ずに入力できるようになる。しかしそれを意識すると途端にそれができなくなるという少々やっかいな技能だった。努力の甲斐あって今では安定してタッチタイピングができるようになったし、作業効率も上がったので我ながらよい投資だったと思っている。

そしてタイピングにも自信がついたころに満を持して買ったのがHHKBというわけである。キーボードとしてはかなり良い値段のする製品で、多くはない親の仕送りで生活していた私にはかなり思い切った買い物だった。それ以来、研究のためのコード、修士論文や博士論文などの原稿、家族や友だちに送ったくだらないメールや文章、だれにも見せなかった短歌や覚え書きなどなど、僕はそのHHKBと一緒に書いてきたのである。

そして2020年。わたしが「ぎゃ」と入力すべく「gya」と入力したところ、「が」としか現れなくなった。はじめは何が起こったのか分からなかったのだが、「y」のキーを押しても反応しないことに気づくと私はついにそのときが来たのだと理解した。壊れたのである。なにせ堅牢なことで知られる製品である。わたしはちょっと妙なことに達成感のようなものを感じた。それだけの文字を打ち込んできたのだ、と私はまるでゲームの実績を解除したかのように思ったのだった。そして、わたしは同僚を捕まえてこの一件について自慢げに話したりしたのである。

そんな風にはじめは興奮していたのだが、しかしだんだんとさみしくもなってきた。壊して喜んでいる場合ではない、直るものなら直したいと思い始めたのである。PFUのサイトをみると診断を依頼した場合、簡単な清掃や調整で直れば返却され、そうでなければ修理ではなく交換であるという。また保証期間外であれば交換は有償だという。

もう10年以上使っているし交換になるくらいなら手元に置きたいと思った私はそちらの方向は諦めることにした。しまいこんでしまう前に、私はキートップを外してしっかりとそのキーボードを掃除することにした。掃除してきれいになっていくのを見て「もっと頻繁に掃除してやればよかったな」と思う自分に気がついた。これが愛着というものなのだろう。

しかし掃除が終わりかけた頃に「そういえばサイトに書いてあった『清掃』はともかく『調整』とはいったい何なんだろう」とふと思った。昔のテレビは叩くと直った物であるが、まさか叩くわけではあるまい。だいたい「y」のキーは壊れた後にも散々叩いてみたのである。そう考えていたとき、ちょうどキートップが外れた状態だったので、私はまだ試していないことがあることに気がついた。回転である。

キーボードにはキートップとスイッチとをつなぐ軸が入っている。キートップを叩くと軸は沈み込むのだけれど、そちらに動く自由度とは別に軸にはぐるぐると回転させられる自由度がある。叩いてはみたが回転はさせていないではないか。正直に言って軸を回転させるとスイッチに何が起こりうるのか私は知らないのだが、試してないことがあると思うとやってみたくなるのが私の性分である。そしてぐるぐる回した後に、キーボードの「y」キーを押してみると文字がなんとディスプレイに文字が現れるではないか。驚いたことにこれで直ってしまったのである。

昔のテレビであれば、叩いてもしばらくすると映らなくなりまた叩かなくてはいけなかったものだが、くだんのHHKBの方はあれから何事もなかったかのように動いている。そもそも壊れたというのが言い過ぎだったのかもしれない。これからもしばらく使い続けられそうで私はうれしく思っている。ただ壊れたことを「ゲームで言えば実績解除」だと自慢した同僚には、なんだかばつが悪い気もしてまだ報告していない。わたしのHHKBに心があれば「いい気味だよ」と笑うのかもしれない。

漢方薬

むかし精神的に結構まいってしまうようなことがあって、そのせいで私は普段からイライラとしていた。しかも当時は親と住んでいたこともあって、なんとかおさまって迷惑をかけずに済まないだろうかと思っていた。

そんな折りにふとテレビを見ていたら番組で漢方薬を取りあげていた。それまではとくに興味はなかったのだけれど、見ているうちに「市販されている薬の中には私のような症状に効くものもあるかもしれない」と思いはじめたのである。(ただ私はその手の専門家ではないので真に受けないでほしい。)

私はずいぶん興味深そうにテレビを見ていたのだろう。母にそんなに面白いかと聞かれたので、「最近はひどいからひとつ試してみたい」と言った。すると母は私を薬局まで車で連れて行ってくれると言う。それはありがたいと思いつつ、やはり母も気にしていたのかなと思った。

薬局にはいろいろな種類の漢方薬が置かれていた。薬局の人に相談するのもなんだか気が引け、私は自分で探すことにしたので少し時間がかかった。母が私のところにやってきたのは、ちょうど私がどの薬を買うか決めたところであった。「あった?」と母。私が「これにする」と言ってパッケージを手に取ると、母は少し驚いて私の顔を見た。なにが不思議なのかと母の言葉を待っていたら、それはこうだった。「ダイエットの薬じゃなかったの?」

この時以来、私は親は子どものことがよく分かるなどという言説は必ずしも正しくないと確信している。