英文校閲

ときおり論文の英文校閲について各社の評価を聞かれることがある。わたしも仕事で数社ほどの仕事ぶりを見たけれど、各社で技量に大きな違いがあるわけではないと思った。よく英文校閲を使う知り合いの研究者にどこを使っているか聞けばだいたいその会社で問題ないだろうと思う。(もちろん問題があったら文句は私ではなくて、その研究者に言ってほしい)。

会社選びよりも重要なのは、自分の母語(私なら日本語)のネイティヴで英語にも「そこそこ」以上に堪能な、同分野の研究者に協力を仰ぐことだと思う。なぜかというと、校閲会社から帰ってきたせっかくの添削の意味がわからないことがあるからだ。

例えば、校閲会社がびっくりするくらい単純なミスを残したまま平気で返してくる場合もある。こういうときに「へぇこういう決まった書き方があるんだ」などと素直に受け入れないためには英語の知識が必要である。あるいは校閲会社がこちらの意図をくみ取れずに、英文を間違った方向に直してしまうこともある。「いや違うんだけど」とクレームを入れるためには校閲された文章を読解するだけの知識が必要となる。そういう人がいたらありがたいのである。もちろん英語を勉強して自分が成っても良い。

もうひとつおすすめしたいことは、添削のコースを慎重に選ぶことだ。会社によって違うのだけど、だいたい「高級コース」と「標準コース」のような二段構えということが多い。高級コースは文法的な誤りはもちろん構成にも手を入れて文章を全体的に手直ししてくれるコースで、標準コースは文章の文法的な誤りを中心に直すコースということになっていることが多い。

予算があるなら高級の方がいいのかと思いきや、実はそうでもない。たとえば共著者間で論文の構成についてケンケンガクガクやった後、疲れ果てた心と体でなんとか論文をまとめ上げたとする。その原稿を高級コースに出すのはおすすめできない。せっかく固めた構成に手を入れてくださいと頼んでいることになるからだ。もちろんはじめから構成に自信があるときは標準コースで良い。研究者もプロなので構成には自信があることも多いのではないだろうか。

計算と予測: 計算機シミュレーションのこと

飽きもせず世界は同じことを繰り返している。そうでなければ、どうして人間がものごとを予測するなどということができるだろうか。それでいてこの世は無常である。予測できないことの方が多い。

ひとは予測と言うことをする。雨にあたれば冷たかろう。ボタンを押せば音が鳴るだろう。ひげを剃らねば文句を言われるだろう。あんまり例をあげすぎると読者が混乱するだろう。こんなふうに普通に予測するとき、文字通りの「計算」をしている人は多くないはずだ。

ある時、まったく理系科目が分からないという人に「コンピュータを使った計算で予測している」と説明したら、そもそもどうしてそんなことが数字の計算で出てくるのかが分からないと言われたことがある。考えてみればもっともな疑問である。それは結局ものごとについて今まで生きてきた人たちが経験を上手く数式にまとめ上げてきたからなのだ。でも、なぜそんなことが上手くいくのか本当は私は知らない。

もうひとつ私が本当には分からないことは、これから先もそんな経験どおりに物事が進むのかということだ。私たちは「ただ世界は飽きもせず次の瞬間も、明日も、そして100年後も同じことを繰り返すのだろう」と漠然と思っている。でも気が変わった世界が「あしたからはカオスで行くわ」と言い出すかもしれない。もしかすると世界に秩序があると思っているのは、ただ私たちが「物理」というタイトルの映画を飽きもせず見続けているからで、スクリーンにうつる以外のすべてのことは昔から無秩序なのかもしれない。

そのスクリーンの中のことでさえ、私たちには本当にすこしのことしか予測できない。その理由はいろいろとある。まず、計算自体に時間がかかることだ。10秒後のことを予測するのに100年かかっていては予測とは言えない。

それからメモリの問題もある。たとえて言えば計算用紙である。もしある閉ざされた実験室の「すべて」について予測したいなら、その「すべて」について現状をメモして置かなくてはいけない。それだけでも大変だけれど、なんとか計算用紙が足りたとする。ところが10秒後のことを予測するためには、まずその「すべて」について1秒後のことを予測しなくてはいけないということが良くある。そして1秒後の「すべて」について計算するための用紙が必要となる。そうしてすぐに用紙切れとなる。

もちろん色々と工夫はある。すべては無理なので重要なところだけ計算して予測するというのは、誰しもやっていることである。またコンピュータも進化しているので、計算は速く、使えるメモリは大きくなってきている。道具が良くなってきているのだ。それから上手な計算の方法も開発されている。道具は使い方も大事である。

そういう状況だから私はきっとこれからコンピュータで予測できることはもっと多くなるだろうと思っている。まぁこれは「その道の研究者たちが今週も来週も飽きもせずに同じようなことを繰り返していれば」とか、そういうぼんやりとした前提の話だ。よく予測できるようになったあかつきには、私たちの生活にも良い影響があればうれしい。

HHKBが壊れた(?)

私はPFUのHappy Hacking Keyboard (HHKB) Professional 2 を長年愛用してきた。買い求めたのは2006年のこと、私は修士の学生だった。計算物質科学の研究室に配属になったのだが、配属の半年前からタイピングの矯正を始めていた。これからキーボードでの入力が多くなるだろうと思ったからだ。

それまでもキー入力はそこそこ速かったのだが、ホームポジションなどおかまいなしの、非入力時はキーボードの端に手を軽く添えるという効率的とは言いがたいスタイルで、しかもキーボードを見ずに入力するためにはゾーンに入らなくてはいけなかった。つまり作業に没頭すれば、いつのまにか私の頭にスイッチが入ってキーボードを見ずに入力できるようになる。しかしそれを意識すると途端にそれができなくなるという少々やっかいな技能だった。努力の甲斐あって今では安定してタッチタイピングができるようになったし、作業効率も上がったので我ながらよい投資だったと思っている。

そしてタイピングにも自信がついたころに満を持して買ったのがHHKBというわけである。キーボードとしてはかなり良い値段のする製品で、多くはない親の仕送りで生活していた私にはかなり思い切った買い物だった。それ以来、研究のためのコード、修士論文や博士論文などの原稿、家族や友だちに送ったくだらないメールや文章、だれにも見せなかった短歌や覚え書きなどなど、僕はそのHHKBと一緒に書いてきたのである。

そして2020年。わたしが「ぎゃ」と入力すべく「gya」と入力したところ、「が」としか現れなくなった。はじめは何が起こったのか分からなかったのだが、「y」のキーを押しても反応しないことに気づくと私はついにそのときが来たのだと理解した。壊れたのである。なにせ堅牢なことで知られる製品である。わたしはちょっと妙なことに達成感のようなものを感じた。それだけの文字を打ち込んできたのだ、と私はまるでゲームの実績を解除したかのように思ったのだった。そして、わたしは同僚を捕まえてこの一件について自慢げに話したりしたのである。

そんな風にはじめは興奮していたのだが、しかしだんだんとさみしくもなってきた。壊して喜んでいる場合ではない、直るものなら直したいと思い始めたのである。PFUのサイトをみると診断を依頼した場合、簡単な清掃や調整で直れば返却され、そうでなければ修理ではなく交換であるという。また保証期間外であれば交換は有償だという。

もう10年以上使っているし交換になるくらいなら手元に置きたいと思った私はそちらの方向は諦めることにした。しまいこんでしまう前に、私はキートップを外してしっかりとそのキーボードを掃除することにした。掃除してきれいになっていくのを見て「もっと頻繁に掃除してやればよかったな」と思う自分に気がついた。これが愛着というものなのだろう。

しかし掃除が終わりかけた頃に「そういえばサイトに書いてあった『清掃』はともかく『調整』とはいったい何なんだろう」とふと思った。昔のテレビは叩くと直った物であるが、まさか叩くわけではあるまい。だいたい「y」のキーは壊れた後にも散々叩いてみたのである。そう考えていたとき、ちょうどキートップが外れた状態だったので、私はまだ試していないことがあることに気がついた。回転である。

キーボードにはキートップとスイッチとをつなぐ軸が入っている。キートップを叩くと軸は沈み込むのだけれど、そちらに動く自由度とは別に軸にはぐるぐると回転させられる自由度がある。叩いてはみたが回転はさせていないではないか。正直に言って軸を回転させるとスイッチに何が起こりうるのか私は知らないのだが、試してないことがあると思うとやってみたくなるのが私の性分である。そしてぐるぐる回した後に、キーボードの「y」キーを押してみると文字がなんとディスプレイに文字が現れるではないか。驚いたことにこれで直ってしまったのである。

昔のテレビであれば、叩いてもしばらくすると映らなくなりまた叩かなくてはいけなかったものだが、くだんのHHKBの方はあれから何事もなかったかのように動いている。そもそも壊れたというのが言い過ぎだったのかもしれない。これからもしばらく使い続けられそうで私はうれしく思っている。ただ壊れたことを「ゲームで言えば実績解除」だと自慢した同僚には、なんだかばつが悪い気もしてまだ報告していない。わたしのHHKBに心があれば「いい気味だよ」と笑うのかもしれない。

漢方薬

むかし精神的に結構まいってしまうようなことがあって、そのせいで私は普段からイライラとしていた。しかも当時は親と住んでいたこともあって、なんとかおさまって迷惑をかけずに済まないだろうかと思っていた。

そんな折りにふとテレビを見ていたら番組で漢方薬を取りあげていた。それまではとくに興味はなかったのだけれど、見ているうちに「市販されている薬の中には私のような症状に効くものもあるかもしれない」と思いはじめたのである。(ただ私はその手の専門家ではないので真に受けないでほしい。)

私はずいぶん興味深そうにテレビを見ていたのだろう。母にそんなに面白いかと聞かれたので、「最近はひどいからひとつ試してみたい」と言った。すると母は私を薬局まで車で連れて行ってくれると言う。それはありがたいと思いつつ、やはり母も気にしていたのかなと思った。

薬局にはいろいろな種類の漢方薬が置かれていた。薬局の人に相談するのもなんだか気が引け、私は自分で探すことにしたので少し時間がかかった。母が私のところにやってきたのは、ちょうど私がどの薬を買うか決めたところであった。「あった?」と母。私が「これにする」と言ってパッケージを手に取ると、母は少し驚いて私の顔を見た。なにが不思議なのかと母の言葉を待っていたら、それはこうだった。「ダイエットの薬じゃなかったの?」

この時以来、私は親は子どものことがよく分かるなどという言説は必ずしも正しくないと確信している。

新年

新年あけましておめでとうございます。本年もよろしくお願いします。

疑似乱数列をコマンドラインからPythonでつくる

Python(ただしPython 2.3以降) ではMersenne Twister が標準の疑似乱数生成器なのだそうだ。お手軽に疑似乱数列を作りたいときに便利そうなので、コマンドラインから疑似乱数列を作るためのレシピを書いておく。

$ python -c 'from random import random; print "\n".join([str(random()) for x in range(10)])'

ただし10はマジックナンバーで上の例の場合、疑似乱数が10個出てくる。ここを他の数字に変えれば、出てくる乱数の数も変わる。少なくとも手元の Python 2.7.14 ではこれで動いた。

コクチョウ

この3月に千波湖に行った時にいたコクチョウの写真。もともと日本にはいない鳥だったのだけど、いろいろあって増えたのだという